取材手帳から
パイワン族の人々が住むビリャリャウという村を訪ねた。ここで聞いたお話し。温泉で知られるカナロン集落のさらに奥へ進んだところに、パイワン族独自の文字を考案しようとしていた人がいたという。パイワン族の言葉は発音形態が非常に複雑で、戦前、日本人がもたらしたカタカナでは、彼らの発音を書き表すことが難しかった(もちろん、中国語でも)。そのため、独自の表記法が必要だったのである。残念ながら、日本の支配下では認められず、戦後にいたっては、国民党の圧政の下、この人は反政府運動家のレッテルを貼られてしまい、緑島へ強制収容されていたという。が、現在もこの村にご健在とのこと。次回、訪ねてみよう。
ここは外国人が立ち入りできない地域にあるが、湯が滝になって流れているという野趣豊かな秘湯で、ぜひ、行ってみたい温泉の1つ。もともとはパイワンの人々が住むビリャリャウ社の近くにあることからビリャリャウ温泉と、呼ばれていたが、戦後、この地名は「比魯(ピールー)」と変えられてしまった。いつもながら、乱暴な地名改正だ。もちろん、戦前、日本人も同じようなことをしているのだが。ちなみに日本時代はこの村は「ビララウ」と呼ばれていた。
鳥の鳴声で行動を決めるというのは台湾先住民にはよくある話し。ただ、具体的な判断基準を聞いたことはなかった。ビリャリャウ社の長老は、鳥の鳴声を真似ながら、教えてくれたが、残念ながら、肝心の鳥の名前が分からない。特に、早朝に聞く鳴声は非常に重要で、その日に何をすべきか、何をしてはいけないかを知る目安になっているのだという。
台東県の霧鹿。ブヌン族の人々が住む村である。ここからさらに山深く進んだところに、100年ほど前に、狩った首がまつられている洞窟があるという。しかも、その大半は日本人の首で、合計108個がまつられているという。山中の道なき道をいくのは並みの苦労ではないだろう。「所要時間は?」と問うと、頭目さんは事なげに一言。「約6時間」とのたまう。早朝に出発して、1日がかりの行程だという。超人的な健脚を誇るプヌン族の言う6時間だから、我々の貧弱な足ではその倍はかかると思っても良いだろう。しかも、その時、小雨がパラついてきた。普段でさえ、そこまでは腰くらいの深さの川を渡らなければならないという。天候が悪ければ、さすがにブヌンの人々も行きたがらない。
結局、「次回の機会に」ということになってしまった。
百歩蛇は台湾原住民の人々がもっとも恐れるている動物だ。 ある日、高雄県の六亀で知り合ったブヌン族の若者の手がひどく変形している。聞いてみれば、子供の頃、指の先を百歩蛇に噛まれてしまったのだそうだ。大人だったら、迷わず指を落してしまうというのだとか。これが、先祖から伝えられた最良の処置だとされているからだ。しかし、この若者は、漢方薬に頼って治療を試みたという。
そして約1年。断続的に続いていたしびれは止まって、手を自由に動かすことが可能になったが、その結果はこれだと言って、力なく、すっかり変形した手を見せた。
百歩蛇。恐るべしである。
ブヌン族はタイヤルと並んで、勇敢を尊ぶ人々である。そんなブヌンのオトコが狩猟をしている時に、誤って、人を撃ってしまったらどうするか。南部横貫公路の途中にあるブルブル集落(現・霧鹿)の頭目に寄れば、その人間は必ず、人里離れた洞窟に1年間入れられたのだという。しかも、その間の食事はトウモロコシとイモだけで、主食の粟は絶対に食べさせなかったのだそうだ。
もちろん、首狩りの時については、このかぎりではない。
台東で知り合ったアミ族のオバサンに聞いた話し。卑南郷付近には平原が広がっており、アミ族とプユマ族の両方が住んでいる。戦前はここに日本人の移民村があり、戦後は漢民族が多く流入してきた。いい土地には多くの人が集まってくるものだ。 さて、アミ族とプユマ族。彼らを見分ける時にはどうするか。オバサンによれば、実は、非常に簡単なことなのだという。
まずは、アミ族は足が長くて、プユマ族は短足。山に強いのがプユマ族で、海に強いのがアミ族。ケンカが強いのがプユマ族で、弱いのがアミ族なのだとのこと。そして、騙されやすい性格のプユマ族に対して、騙すのが得意のアミ族なのだとか。そのアミ族も、漢民族と日本人にはよく騙されたといって、オバサンは大きく笑った。(バラナウ集落)