春風は汽車に乗って…インド・ダージリン鉄道の旅
(これは大韓航空機内誌「MORNING CALM」に掲載した原稿を加筆修整したものです)
紅茶の産地として知られるダージリン。ここにはもう1つ、忘れてはならない名物がある。それはトイ・トレイン。オモチャのような蒸気機関車が毎日、休むことなく、高原と平地を結んでいる。そして、イギリス人の手によって開かれた町・ダージリン。ここには教会や洋館が建ち並ぶ。町並みの向う側には白銀に輝くカンチェンジュンガ。その眩いほどの輝きがこの小さな汽車を照らす。
旅は歓声から始まった
一直線に伸びたレールの彼方に白い煙りが見えてきた。かすかにゆらゆらと揺れる白煙と、朝陽を浴びて輝く小さな機関車。「来たぞ!」と隣りでカメラを抱えたドイツ人がはしゃいでいる。細い線路の上を1台の蒸気機関車がこちらに向かってやってくる。挨拶代わりと言わんばかりの大きなホイッスルを鳴らして、汽車はホームへ入ってきた。
シルグリー駅のホームには数人の乗客の姿があったが、典型的なインド人の顔は少なく、チベット系やシッキム人の顔がほとんどだ。その顔立ちは、我々日本人とどことなく似ており、親近感を抱いてしまう。彼らが、これから8時間の旅を共にする仲間たちだ。
シルグリーから1時間ほど走ったところで1回目の小休止。ここから本格的な山岳路線に入るため、水と石炭を積み込む。作業は20分ほどで完了した。ホイッスルを高らかに鳴らし、出発だ。乗客があわてて列車に飛び乗る。このホイッスルは停車のたびにホームに降り、のんびりと周囲を散策している乗客への出発の合図にもなっているようだ。
憧れのトイ・トレイン
ダージリン鉄道はインド東部のシルグーリーからダージリンまでを結ぶ山岳鉄道だ。距離にして82キロ。しかし、その標高差は2000メートルを超える。バスなら4時間ほどで行ける距離を、列車は8時間かけて進んでいく。しかも、鉄道の場合、半日程度の遅れが日常茶飯事。雨季に災害に見舞れれば、半年近くも運休になってしまう。まさに存在していること自体が不思議な鉄道なのだ。
しかし、ここには本格的な蒸気機関車が現役で走っている。そして、これは世界中の鉄道ファンの関心を呼んだ。レールの幅がわずか610ミりで、それに合わせて製造された小さな鉄道。いずれも車齢60年以上のものばかりの蒸気機関車だ。そんな鉄道、いや、そんな鉄道だからこそ、ファンの眼もあたたかい。彼らは、親しみを込めて、この鉄道をトイ・トレインと呼んでいる。
もともと、この鉄道はイギリス人によって敷設された歴史を持っている。インドを支配下に収めた彼らが、この地域の統治の拠点として選んだのはカルカッタだった。しかし、夏の暑さに耐えられない彼らは避暑地をダージリンに求めた。その連絡輸送を担ったのが、このダージリン鉄道だった。当時の名残りなのか、3両しかない列車の中には今も1等車が連結されている。
ダージリン鉄道の工事は1879年に始まった。前人未踏の森林地帯を切り開いていくのは決して容易なことではない。しかし、夏の首都への連絡鉄道の建設は支配者にとっては急務だった。翌年には途中のカオーセオーンまでが完成。1881年にはダージリンまでの全線が開通している。
スピード工事のために、建設に時間のかかるトンネルは1つも設けられなかった。レールは等高線に沿って、右へ左へとカーブを繰り返す。どうしても上りきれないところにはループ線やスイッチバックが設置され、機関車は方向を変えながら上っていく。こういった特殊設備もファンの心をくすぐっている。
汽車は空に向かって走る
途中、何台の自動車とバスに追い越されたであろうか。トイ・トレインは給水や列車交換のため、どの駅でも20分は停車する。しかし、ここではスピードなどは全く意味のないもののようだ。乗客もおしゃべりをしたり、昼寝をしたりと、各自が自分なりのやり方で車中の時間を過ごしている。
シルグリー駅を出発して9時間が過ぎた。時刻表上のダージリン到着の時刻は完全に過ぎてしまった。列車は大幅に遅れているが、車窓の素晴らしさと乗り合わせた乗客との触れ合いが長旅の疲れを忘れさせてくれる。トイ・トレインの旅は退屈とは無縁なのだ。
カオーセオーン駅はちょっとした集落が発達した沿線最大の町。列車も商店の軒先をかすめながら徐行して行く。ここは停車時間が長いので、ティーブレイクを楽しもう。山のひんやりとした空気が紅茶の香りをかきたててくれる。いつのまにか、霧がかなり深く立ち込めてきた。
ここからは山の景色を存分に楽しめる区間だが、同時に霧がよく出ることでも知られている。冷たい空気が窓の隙間から入り込んできた。ついさっきまで半袖のシャツで十分だったのが嘘のようだ。標高2000メートルの高原には春はまだやってきていない。
汽車が町にやってきた!
途中、列車を降り、グームという小さな町まで先回りすることにした。走行中の列車をカメラにおさめるためだ。グームに着いてみると、やはり深い霧に包まれていた。道端で野菜を売る老婆は「もう30分くらいすれば、晴れてくるよ」とことなげに笑うが、今はその言葉を信じるしかない。祈るような気持ちでカメラを構えた。
グームの町は尾根の上にあり、細長い。この町を列車は併用軌道で通りぬける。つまり、路面電車のようなスタイルで蒸気機関車が走るのだ。狭い道路にギッシリ並んだ家々の軒先をかすめながらトイ・トレインが駆け抜ける。鉄道ファンならずとも興奮する被写体だ。
カメラをセットしていると、地元の子どもたちが興味深そうに集まってきた。ファインダーを覗かせてくとせがむ者、チベット語を教えるといってノートに単語を書き出す者とにぎやかだ。お互い拙い英語で会話を楽しみながらひとときを過ごす。幸い、霧は晴れ、青い空が見えてきた。
しばらくして、ある少年が私の肩をたたき、「耳をすませてごらん」と合図をくれた。みんなで耳を立てる。聞える。蒸気機関車の獣のような咆哮だ。それが山の向こうから響いてくる。霧は何時の間にか、すっかり晴れ上がっている。ファインダーをのぞき、シャッターの瞬間を待つ。
蒸気機関車が山影から姿を現した。周りの子どもたちも息をひそめてシャッターが押されるその「一瞬」を待っている。シャッターが切られ、トイ・トレインはゆっくりとグームの町を走り抜けていく。その姿を人々は仕事の手を休め、見送っている。彼らにとっては日常見慣れたはずの機関車だが、やはり、トイ・トレインはこの町の主役なのだ。写真を撮り終え、機関車が見えなくなると、子どもたちはせきを切ったかのように歓声を上げた。
イギリス人が開いた町・ダージリン
ダージリンは山の斜面に発達した町だ。イギリス人が開いた町だけあって、教会や洋館が多い。ここに漂う雰囲気はいわゆるインドのものではない。道行く人の表情も穏やかで、実際に、とても親切だ。キリスト教徒と敬謙な仏教徒が多く、町には寺院が多い。
この町からはどんなところからでもカンチェンジュンガが見える。言わずと知れた世界第3の高峰だ。ヒマラヤの東端に位置し、インド最高峰の称号をも誇るこの山は白銀に輝き、その美しさは筆舌に尽くせない。特に朝陽を浴びて浮かび上がる姿は格別だ。毎朝、早起きしてでも、この眺めを楽しみたいと思う。カンチェンジュンガの頂を背後に走るトイ・トレインは誰しもがポストカードにしたいと思う構図であろう。
ヒマラヤで味わうチャーイの味は…
さて、ダージリンに来たからにはぜひとも紅茶を味わいたい。ベンガル湾上で発生した暖かい気団はヒマラヤ山系に衝突して濃い霧を発生させる。そして、標高2000メートルの高原は昼夜の気温差も大きい。この2つがこの土地を茶葉の大栽培地に仕立てたのだという。現在、ダージリンはアッサム地方と並んで、インド紅茶の2大産地となっている。
ただ、残念ながら、ダージリンの町で高級な茶葉を探しだすことは難しい。上質の茶葉はすべて外国に輸出されてしまうからだ。しかし、ここで飲む紅茶にはここにしかない隠し味が含まれていることも忘れてはならない。それはここの空気。山深いこの土地は公害などとは一切無縁だ。その空気を深呼吸しながら飲む紅茶の味は、もはや、どんな説明も必要あるまい。
インドではミルクをタップリ入れて飲むのが一般的で、それはチャーイと呼ばれている。町の至るところに屋台が出ていたら「チャーイ」と一言だけ伝えよう。小さなカップに温かいチャーイが注がれる。それを冷ましながら飲むと、ここでしか味わえない紅茶の風味、そして、この土地でしか味わえない旅の気分を心ゆくまで満喫できるはずだ。
ホテルへ戻る途中、1人の少年がウインクを投げかけてきた。人懐っこいその笑顔を私はどうしても思い出せない。私が反応に困っていると、彼は両手で蒸気機関車の真似をした。
そうだ、3日前、トイ・トレインでここまでの道のりを共にした少年だ。私もなんだか、彼が旧来の友人であるかのように思えてきた。トイ・トレインの旅はたまたま乗り合わせた乗客同士をも結び付けてしまうものらしい。
帰路は果たして、どんな出会いが待っているのだろうか。