台湾に残る日本時代の建築
ここは終戦まで真言宗の寺院であった。鉄道部職員が中心になって開かれ、信者にも鉄道関係者が多かったため、「鉄真院」という別名も持っていた。この寺院が開かれたのは1905(明治38)年9月のこと。北投の温泉街を見おろす高台に位置する古刹として知られていた。石段を上りきると正面に本堂がそびえている。この建物が竣工したのは1916(大正5)年のことである。どっしりとした風格を漂わせた建物で、内部は畳敷き。これは言うまでもなく、日本人が持ち込んだ寺院建築の名残である。竣工時は台湾でも指折りの大型寺院建築であったといわれ、確かに、ここまで大きな寺院というのは、台湾全土を見渡してもそう多くはない。現在の保存状態は良好なように見えるが、住職の話では、瓦屋根の傷みがひどく、雨漏りは絶えないのだという。そのため、定期的な修復工事は欠かせないとのこと。一世紀近い歴史を誇る寺院とて、寄る年波だけは否定できないということだろうか。かつては見晴らしの良さでも知られたというこの寺院だが、残念ながら、現在は生い茂った緑に覆われて、その眺望は望むべくもない。今となっては訪れる人も多くはない「静かな古刹」である。
黒瓦を用いた屋根は雨漏りがひどいために、最近になって修復されたという
境内には湯守観音と呼ばれる像がある。日本時代には確かに湯守観音というものが存在していた