台湾に残る日本時代の遺構(台北市内)

風格を保つ郵政庁舎―台北郵便局(台北市)

 

清国統治時代、台北は四方を城壁に囲まれた城郭都市であった。東西南北と小南門の五つの城門が設けられ、堅固な造りで知られていた。これらはいずれも日本統治時代に入って撤去されたが、その中で、唯一取り壊しを免れたのが北門である。ここは現在も往年の姿を保っており、台北市が指定する史跡となっている。

その傍らに立ってみると、重厚感を漂わせた大きな建物が正面に迫っているはずだ。これが日本統治時代の郵政庁舎である。現在は「中華郵政台北北区総局」という名が付されているが、郵便局としての機能に変化はない。

かつて、この一帯は京町と呼ばれていた。ここに郵便局が開設されたのは北白川宮能久親王率いる近衛師団が台北入城を果たした時にまで遡る。当時は「野戦郵便局」を名乗っており、木造平屋の極めて簡素な建物であったという。しかし、後にこれが大火に見舞われて焼失。新庁舎が造営されるきっかけとなった。

新庁舎が竣工したのは一九二九年(昭和四年)のことである。施工は台湾総督府官房営繕課が請負い、設計は総督府技師・栗山俊一に委ねられた。三階建ての大きな建物は、落成と同時に内外の建築家たちの注目を集めたという。周囲を威圧するような独特な風貌は、今もなお、見る者すべてを圧倒している。良かれ悪しかれ、台北を代表する建築の一つに数えられてきたことに疑いはないだろう。

ここは植民地台湾の中央郵便局としての機能を持ちあわせていたので、開設当初から一等局の扱いを受けていた。正面に大きな玄関口が設けられ、業務用自動車は後方の左右にある端部から入るようにできている。そして、建物の背後には広い作業用スペースが確保されている。いずれも当時の一等郵便局に見られた典型的なスタイルであった。

昭和初期は用材に鉄筋コンクリートを用いることが普遍化し、シンプルなデザインがもてはやされた時代である。そのため、この建物も西洋古典様式の凝った装飾を随所に残しつつも、全体としては整然とした雰囲気で仕上げられた。言ってみれば、古典建築と現代建築のいずれの要素も含む過渡期のデザインである。壮麗な風格、そして、機能性を重視した造りはこのような建築様式の融合に起因しているのである。

印象的なのは外観だけではない。館内に足を踏み込むと、まずは高い天井に驚かされる。広々とした空間には開放感が漂い、厳つい外観とはずいぶん異なった印象を与えている。現在、使用されているカウンターも竣工時からのものである。その用材には宜蘭・蘇澳方面で採掘された大理石が用いられたという。

今もなお、現役として活躍する老建築。この建物は竣工からすでに七〇年の歳月を経ているが、疲れは全く感じさせていない。それどころか、この建物を前にすると、生き続ける力強さのようなものが伝わってくる。発展を続ける大都会の中で、どっしりと腰を据えて存在感を放つ重鎮のような建物である。

(以上は自由新聞に掲載された記事を若干修正したものです)



重厚感を漂わせる台北郵政総局の庁舎。その起源は領台直後に設けられた野戦郵便局にまで遡る。

館内もまた、さりげない装飾が施されている。
なお、もともとは三階建てだったが、戦後、増築されて四階建てとなっている。